みなさん、こんにちは。
東京ディズニーリゾート・アンバサダーの柴田 大輔です。
12月5日は、ウォルト・ディズニーの誕生日です。
私は、今年の夏に開催された「D23: The Ultimate Disney Fan Event」に参加するために渡米した際、ウォルトやディズニーの歴史にまつわるさまざまな場所を訪れることができました。
今回のブログでは、ウォルトの誕生日にちなんで、そのいくつかをご紹介します。
まずご紹介するのは、カリフォルニア州アナハイムに世界で初めて誕生したディズニーテーマパーク、ディズニーランドの中にある場所です。
パークに入園したゲストが最初に訪れるテーマランド、メインストリートUSA。ここには、消防署があります。
消防署前での写真(中央:ディズニーランド・リゾート・アンバサダーのRaul)
じつは、この消防署の2階には、ウォルトのアパートがあります。
ディズニーランドのオープンを控えていた頃、彼はパークの状況をすぐに確認できるように、ここに自らが住む場所を作ることを計画しました。
ディズニーランドがオープンしてからは、親族や親しい友人をもてなす場所として使用していたそうです。
窓際のランプには常に灯りがともっています。今も彼のレガシーがこの場所に生き続けているという意味が込められているそうです。
ランプ越しに窓からパークを眺めると、ウォルトが見ていた風景を見ることができました。私はこの部屋からディズニーランドを眺めることをずっと夢見ていたので、今回それが実現し、言葉にできないほどの嬉しい気持ちがあふれました。
また、ウォルトのアパートがある消防署からメインストリートUSAを進んでいくと、このような窓もあります。
窓には、
“AMBASSADOR
FINISHING SCHOOL
Cicely Rigdon
INSTRUCTOR”
という文字が書かれています。
この窓は、ディズニーランドの発展に貢献した
“Cicely Rigdon
”さんの功績を称えています。
彼女は1957年にチケット販売員としてディズニーランドでのキャリアをスタートしました。1959年にはツアーガイド部門に異動し、その部門の責任者となった彼女は、後にゲストリレーションとチケット販売にも責任者としての役割を拡大していきました。
そして、1982年からはディズニーランド・アンバサダーたちとともに働き、現在のディズニーランド・アンバサダープログラムの発展に尽力しました。その後、1994年にアンバサダープログラムのマネージャーを退任し、ディズニーランドにおける37年間のキャリアを終えました。
私が担っているディズニーアンバサダーの歴史がパークに刻まれていることを知り、驚くとともに感動がこみ上げました。そして、伝統あるディズニーアンバサダーの一員になれたことに誇りを感じました。
最後は、カリフォルニア州バーバンクにある、「ウォルト・ディズニー・カンパニー」からご紹介します。
世界のディズニーアンバサダーとディズニー・レジェンド・プラザを訪問したときの集合写真
「ウォルト・ディズニー・スタジオ」の中には、ウォルトが実際に使用していたオフィスが復元・展示されており、家具が当時のまま保存されている部屋を見学することができました。
オフィス内のインテリアは、ディズニーの歴史に関するさまざまな資料を保管・収集している、「ウォルト・ディズニー・アーカイブス」によって2015年に復元されました。
案内してくださったガイドの方から、家具の配置はもちろん、本棚に並ぶ本の順番まで、この部屋はウォルトが実際に使っていたときの状態を復元しているとうかがいました。
ウォルトがこの部屋でたくさんのアイデアを思い浮かべたり、映画やパークについての熱い議論を交わしたりしたのだろうと想像し、当時の様子に思いを馳せながらこの部屋でのひとときを過ごしました。ディズニーの歴史の一部に触れることができ、貴重な学びの機会となりました。
今回、ウォルト・ディズニーやディズニーの歴史にまつわる場所を訪問して、そのレガシーを感じることができました。ウォルトが創り上げたすばらしい世界を、ディズニーアンバサダーとしてたくさんの方に伝えていきたいと、あらためて強く感じています。
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